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かつての尚成は、理由が差し込まれる隙間がないほど確定的に、自分は同性愛個体だとバレてはいけない、特に学校関係者や家族には絶対に知られてはならないと思い込んでいました。

それはなぜか。

決して、自分が周りの個体と違うことそれ自体を恐れていたからではありません。その事実を以て当時所属していた主な共同体側から、均衡、維持、拡大、発展、成長を阻害する個体として認定されることを恐れていたからです。

それはなぜか。

共同体が目指すものを阻害する存在だと認定されることは、ヒトの場合、共同体側から〝悪〟とみなされること、つまり共同体から追放される可能性を高めることだからです。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

「もっとちゃんとしなきゃいけないな」

円佳に、というよりも自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「どゆこと?」

「いや、だからよくわかんないけどちゃんと健康診断とかがあって、ちゃんと保険とかがあるっていうか、とにかくもっとちゃんとしたところに行かなくちゃいけねえなってことよ」

「なにそれ」、と円佳は笑った。

サクマは笑わなかった。結構真面目にそういう風に、半ば本気で思っていたからだ。サクマにとっては保険とか扶養とか、見るだけで言葉の意味と音とが空中分解するような単語を使いこなせることが大人になったりちゃんとしたりすることなんだ、と考えていた。二十年先三十年先を常に見通せるようになることが多分ちゃんとするということだ。

砂川文次『ブラックボックス』(講談社、2023年)

〈本来的なもの〉は大変危険なイメージである。なぜならそれは強制的だからである。何かが〈本来的なもの〉と決定されてしまうと、あらゆる人間に対してその「本来的」な姿が強制されることになる。本来性の概念は人から自由を奪う。

それだけではない。〈本来的なもの〉が強制的であるということは、そこから外れる人は排除されるということでもある。何かによって人間の「本来の姿」が決定されたなら、人々にはそれが強制され、どうしてもそこに入れない人間は、人間にあらざる者として排除されることになる。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、2011年)

マイノリティを差別しないのは、そういう時代だから。そうでない時代を構築した過去を本気で反省し謝罪し改善したいわけではなくて、なんかそういう時代になったから。この感じだと、何十年後、共同体や種が今よりもずっと縮小していて、かつ体内受精を始めとする有性生殖でしか次世代個体を発生させる方法がないままだったら、やっぱり同じようなノリで再び同性愛嫌悪の空気が再構築される可能性めちゃくちゃありますよ。だって、そういう時代だから。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

みんな本当は、気づいているのではないだろうか。

自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が“多数派である”ということの矛盾に。

三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、“多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに。

朝井リョウ『正欲』(新潮社、2021年)

子どもの頃のほうが大人の今よりも自由だった人がどれくらいいるだろうか。扶養されていたぶん、労働せずに済んだという意味で自由だった人はいるだろうけど、代わりに多くの義務を背負わされていたはずだ。

私が大人だなぁと思うのは、その種の義務全般から自由であるような人である。たとえば仕事をほっぽり出して失踪しちゃうような人は「大人〜」って感じる。もちろん、学校をほっぽりだして失踪しちゃう子どもにも「大人〜」と思う。

「大人=無責任」という単純な話ではない。義務のたぐいがあるということを理解していて、その上で、そんなのはゲームのルールに過ぎない、とわかっている人──心の底からはゲームを信じていない人──が大人だと感じる。遊びに心から没頭するのは子どもっぽい。だから、大人は責任や義務からも醒めていなければならない。

品田遊『キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々』(朝日新聞出版、2022年)

『むしろ逆かな』『うまく説明できるか』『分からないけど…』『自分にとって』『あたりまえの欲求が』『他人にとって』『暴力になるとしたら』どうする?、と促すように、おまえは眉毛をあげて彼女を見た。『欲求そのものを』『ガマンしようなんて』『自分を過信しすぎてる』『いつか自分本位に』『タガを外して』『誰かを傷付ける』『だから大切なのは』『欲望そのものが』『消滅するまで』『範囲を設定すること』『そう思う』。おまえは言葉を止めて、体を捻った。そして指を使って砂に漢字で、域、と一文字だけ書いた。『この漢字の意味は』『ゲームのフィールドとか』『フットサルのコートとか』『ボクシングのリングみたいな』『そういう意味なんだけど』『俺はこれを』『探してる』『ここは自分にとって』『そういう域だ』『不謹慎かもしれないけど』『君や彼らが』『延々とデートして』『喧嘩したり』『全力で競ってるのが』『すごく落ち着くんだ』。

安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)

だって、「生産性がない人なんていません」ってつまり、「どの個体も、意味や価値に始まる何かしらの生産性とは無関係ではいさせません」っていう宣言、でもありますよね?

だから、全然優しい言葉ではないんですよ。

それどころか、自分が今後どんな状態になっても、いつ何時でも、共同体にとって有用な個体でいなければならない感、すごくないですか?

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

尚成の場合、学校の友達が蔑むことや気持ち悪がること、家族が地域や国家にとって悪とみなしていることに同意している時間は即ち、自分自身を蔑み気持ち悪がり、悪とみなす時間そのものでした。振り返ってみればあくまで共同体の庇護なしでは生き延びられない期間をやり過ごすための擬態だったわけですが、もちろん当時はそんなふうに割り切れておらず、この時間は永遠に続くのだと思っていました。擬態はこうして、尚成という個体を十八年間生き延びさせたあと、それと全く同じ方法で、尚成という個体の感覚を十八年分殺したのでした。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

どんな狂気も、他人事ではない。おなじアパートに住む、おなじような生活水準の人間のやったことなのだから、なおさらである。

なにをそんなに狂うことがあるのかとは思うけれども、それは自分が狂っていないから、そんなに悠長なことを思えるのだ。

狂気は、とうに私たちのなかで眠っているのだから、いつ自分が他人の洗濯ものをばら撒くようになるかわからない。きっかけひとつで、すべてがひっくり返ってしまうことを、私たちはよく知っているはずだ。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「現代の日本は、目に見える身分差別はもうないですけれど、一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていて、皆さん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて、“自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代なのだと思います」

辻村深月『傲慢と善良』(朝日文庫、2019年)

まず、神を特段設定していないヒトにとって、善悪は決定的なものではありません。善とは〝共同体が目指すものを促進するもの〟、悪とは〝共同体が目指すものを阻害するもの〟に結びついていることが殆どで、ひどく流動的です(一方、神を設定していれば、自ずと善悪も固定されます。キリスト教徒にとっての善悪は聖書に、イスラム教徒にとっての善悪はクルアーンに、それぞれ記されています)。

たとえば殺人。現時点の日本で殺人は悪です。ですが死刑は認められています。国家という共同体の均衡を保つための行為ならば、特定の個体を殺す行為は悪ではなくなります。

つまり、同じ行為でも、共同体にもたらす影響によっては善にも悪にもなるのです。そして、悪とみなされた場合、所属していた共同体から追放されうるのです。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

「皆が足並みを揃えていないと駄目なんだ。何で三十代半ばなのにバイトなのか。何で一回も恋愛をしたことがないのか。性行為の経験の有無まで平然と聞いてくる。『ああ、風俗は数に入れないでくださいね』なんてことまで、笑いながら言うんだ、あいつらは! 誰にも迷惑をかけていないのに、ただ、少数派だというだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する」

村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、2021年)