なぜ私たちは同じことを繰り返すことに喜びを覚えるのだろうか。シェフラーの観察は鋭い。シェフラーはまず、人間が時間を自在に行き来できないことを指摘する。私たちは、過去にも未来にも自由に移動できない。ある意味で今に縛り付けられている。だが、習慣的な繰り返しは、特定の行為をいつ行っても同じものだと感じさせてくれる。そうすることで、私たちが生きているこの世界に存在する、時間的な壁を一時的に忘れさせてくれるのだ。過去から続いてきたこの一杯を飲み、未来にもこの一杯を飲めるということ。過去と未来が地続きになる感覚が生まれる。「毎朝同じカフェを訪れ、同じコーヒーとペストリー〔パイ、タルト、デニッシュなど〕を注文するなら、そのカフェを訪れる際の経験は、重要な点では、過去と同じであり、未来も同じだろう。つまり、私は時間における一種の準移動性を経験していると言える」。
続いてシェフラーは、「私たちは皆、時間的にはホームレスである」と言う。私たちは馴染みの空間を持っており、家に帰ることで安心する。家を持たぬ人は、安心して帰るべき場所がなく、寂しさを覚えるかもしれない。だが、時間にはそうした帰る「時間」がない。けれども、同じ行為を繰り返すことで、私たちは、時間の家を持つことができるのだ。しかし、移ろいやすい世界では、私たちは空間の住処を失うだけではなく、時間の住処も失ってしまう。
最後に、シェフラーは、ルーティンが私たちの自己の連続性の支えになる、と言う。「過去は過ぎ去り、未来はまだ到来していない。私は現在の瞬間に存在していることを直接的に認識している。しかし、過去に存在したある人物が私であったと、あるいは、私の存在となる特定の未来の人物がいると、なぜそう確信できるのだろうか」と問う。連続性は、同じ行為をすることで、そして、その行為を誰かに確認されたりすることで──「いつものやつですね」とバリスタが言うことで──確かめられる。
難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)