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この未来への開かれについて考えるために、哲学者、エルンスト・ブロッホの時間論を参照しよう。ブロッホは、時間の進行を単なる直線的なものではなく、未来へと絶えず開かれた未完了のものと捉えた(ブロッホ 2012)。ブロッホにとって、「現在」とは、過去の遺産を受け継ぐだけのものではなく、つねに未来を先取りして生成し続ける場所だ。ブロッホの時間論の核心には、「先取り」がある。これは、現在の時間が未来を取り入れながら進行するという考え方だ。私たちの経験する「いま」は、未来の可能性によって導かれている。私たちは単に過去から現在へと流れる時間の中にいるのではなく、未来を手繰り寄せようとする。社会運動や政治的変革は、現状の不満や過去の亡霊による抑圧から生じるだけでない。マイナスをゼロにするだけではなく、「未来をこのようにしたい」という想像力によっても規定される。決して不平等は解消されない、という未来を描き信じてしまえば、その通り未来は変わらない。なぜなら、私たちの未来像に従って私たちの未来が形作られているのだから。つまり、私たちの〈生きている時間〉には未到来の時間が絶えず到来してくる。未来の光が現在を照らし、その光にしたがって私たちの行動が決定される。私たちは現在に生きながらも、未来を想像し、それによって現在を変えようとする。

現在の時間はつねに未来に開かれ、先取りされている。ブロッホ的な時間概念に基づけば、私たちの生きる時間は過去の亡霊によって形作られるだけでなく、未来の「まだ来ていないもの」によっても方向づけられている。私たちは「層状の時間」の中で、過去と未来の両方に開かれた現在を生きることになる。

難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)

そもそも、人間にはなぜ自由が必要なのでしょうか。ミルの考えでは、それは人間の可謬性と高い修正能力ゆえです。つまり、人間はえてして判断を誤るが、それを自由な討論によって修正する能力にも富んでいるというのです。それゆえ、ミルは自由の確保を「自分自身の可謬性に対して予防策をとる」ことと見なします。これは一種の「リスクヘッジ」と言い換えてもよいでしょう。[…]

人間は誰でも失敗する。この誤謬の可能性を織り込んで、人間の考えを最大限に多様にし、オープンな討論を経て意見を修正してゆくことが、ミル的な自由主義の基本的な考え方です。

福嶋亮大『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』(星海社、2022年)

「いや、ヘンじゃないです、全然。音楽ってそういうものですよ。最初に提示された主題の行方を最後まで見届けた時、振り返ってそこに、どんな風景が広がっているのか? […] 展開を通じて、そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。そうすると、もうそのテーマは、最初と同じようには聞こえない。花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。そういうことが理解できなければ、フーガなんて形式の面白さは、さっぱりわからないですから。」

蒔野はそう言うと、少し間を取ってから言った。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

平野啓一郎『マチネの終わりに』(コルク、2019年)