リンクをコピーしました

ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって、カップ麺や出来合いの惣菜しか食べないのは自分を虐待するようなことだって言われても、働いて、残業して、二十二時の閉店間際にスーパーに寄って、それから飯を作って食べることが、ほんとうに自分を大切にするってことか。野菜を切って肉と一緒にだし汁で煮るだけでいいと言われても、おれはそんなものは食べたくないし、それだけじゃ満たされないし、そうすると米や麺も必要で、鍋と、丼と、茶碗と、コップと、箸と、包丁とまな板を、最低でも洗わなきゃいけなくなる。作って食べて洗って、なんてしてたらあっという間に一時間が経つ。帰って寝るまで、残された時間は二時間もない、そのうちの一時間を飯に使って、残りの一時間で風呂に入って歯を磨いたら、おれの、おれが生きている時間は三十分ぽっちりしかないじゃないか。それでも飯を食うのか。体のために。健康のために。それは全然、生きるためじゃないじゃないか。ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、 それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社、2022年)

なぜ私たちは同じことを繰り返すことに喜びを覚えるのだろうか。シェフラーの観察は鋭い。シェフラーはまず、人間が時間を自在に行き来できないことを指摘する。私たちは、過去にも未来にも自由に移動できない。ある意味で今に縛り付けられている。だが、習慣的な繰り返しは、特定の行為をいつ行っても同じものだと感じさせてくれる。そうすることで、私たちが生きているこの世界に存在する、時間的な壁を一時的に忘れさせてくれるのだ。過去から続いてきたこの一杯を飲み、未来にもこの一杯を飲めるということ。過去と未来が地続きになる感覚が生まれる。「毎朝同じカフェを訪れ、同じコーヒーとペストリー〔パイ、タルト、デニッシュなど〕を注文するなら、そのカフェを訪れる際の経験は、重要な点では、過去と同じであり、未来も同じだろう。つまり、私は時間における一種の準移動性を経験していると言える」。

続いてシェフラーは、「私たちは皆、時間的にはホームレスである」と言う。私たちは馴染みの空間を持っており、家に帰ることで安心する。家を持たぬ人は、安心して帰るべき場所がなく、寂しさを覚えるかもしれない。だが、時間にはそうした帰る「時間」がない。けれども、同じ行為を繰り返すことで、私たちは、時間の家を持つことができるのだ。しかし、移ろいやすい世界では、私たちは空間の住処を失うだけではなく、時間の住処も失ってしまう。

最後に、シェフラーは、ルーティンが私たちの自己の連続性の支えになる、と言う。「過去は過ぎ去り、未来はまだ到来していない。私は現在の瞬間に存在していることを直接的に認識している。しかし、過去に存在したある人物が私であったと、あるいは、私の存在となる特定の未来の人物がいると、なぜそう確信できるのだろうか」と問う。連続性は、同じ行為をすることで、そして、その行為を誰かに確認されたりすることで──「いつものやつですね」とバリスタが言うことで──確かめられる。

難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)

時間は「意味」と不可分である。私たちは自分が死ぬことを知り、有限性のもとで生きる。そこにこそ生きる意味や価値が生じるからだ。

難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)

時計に目を遣って、僕は、三十三分間という、この電車に乗っている時間のことを考えた。下車後の僕は、乗車前の僕より、既に三十三分、死に接近しているのだった。実際には、通勤のストレスは、乗車時間以上に寿命を縮めているだろうが。

それが、一日二回、数十年に亘って繰り返されるということ。……

僕は生きる。しかし、生が、決して後戻りの出来ない死への過程であるならば、それは、僕は死ぬ、という言明と、一体、どう違うのだろうか? 生きることが、ただ、時間をかけて死ぬことの意味であるならば、僕たちには、どうして、「生きる」という言葉が必要なのだろうか?

平野啓一郎『本心』(文藝春秋、2021年)

元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か、と祐治は思う。十年前か。二十年前か。一人ひとりの「元」はそれぞれ時代も場所も違い、一番平穏だった感情を取り戻したいと願う。

道路ができる。橋ができる。建物が建つ。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった。やがてまた必ず足下が揺れて傾く時がくる。海が膨張して押し寄せてくる。この土地に組み込まれるようにしてある天災がたとえ起こらなかったとしても、時間は一方向にのみ流れ、一見停止しているように見える光景も絶え間なく興亡を繰り返し、めまぐるしく動き続けている。人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく。

佐藤厚志『荒地の家族』(新潮社、2023年)