人は何かが分かったとき、自分にとって分かるとはどういうことかを理解する。「これが分かるということなのか……」という実感を得る。
人はそれぞれ物事を理解する順序や速度が違う。同じことを同じように説明しても、だれしもが同じことを同じように理解できるわけではない。だから人は、さまざまなものを理解していくために、自分なりの理解の仕方を見つけていかなければならない。
どうやってそれを見つけていけばよいか? 特別な作業は必要ではない。実際に何かを理解する経験を繰り返すことで、人は次第に自分の知性の性質や本性を発見していくのである。なぜなら、「分かった」という実感は、自分にとって分かるとはどういうことなのかをその人に教えるからである。スピノザは理解という行為のこのような側面を指して「反省的認識」と呼んだ。認識が対象だけでなく、自分自身にも向かっている(反省的)からである。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮社、2021年)