ある事件が起こったとき、当時の人がその事件のすべてを理解することは不可能だ。
第二次世界大戦が始まったとき、当時の日本の人々、そして世界の人々は、状況のすべてを知ることはできなかった。大戦が後に核爆弾による最後を迎え、冷戦を生み出すとは思いもよらなかっただろうし、それが未来の日本のあり方にもたらす意味を理解することもできなかっただろう。[...]
だが、後に生きる人々、たとえば歴史家は、当時の人が使うことのできなかったデータや理論や道具を用いて、当時の人々が知り得なかった事実を探っていくことができる。それゆえ実は、第二次世界大戦の特定の側面については、当時の人々よりも未来に生きる私たちのほうが、よく「理解」できているということがありうる。
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そして何より、私たちは過去を「理解」するとき、思い出すのではなく、それを語り直す。過去をそのまま思い出すことはできない。なぜなら、過去とは本質的に、現在の私たちの語りによって更新されていくものだからである。
私たちは、語り直しによってのみ過去を理解できる。いや、語り直さざるを得ない。なぜなら、私たちは当時よりもいっそうさまざまなことを知っており、新しい概念や枠組みのもとで過去を語らざるを得ないからだ。
難波優輝『物語化批判の哲学』(講談社現代新書)