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市川沙央のインタビューを読んだ。

ハンチバック』は、近年の芥川賞作品の中でもかなり好きな一冊なので、こうして本人のまとまった言葉を読めるのは嬉しい。芥川賞からずいぶん長い時間が経っているが、作品とは別のところで、彼女の中ではまだ終わっていない時間が続いているのだ、という当たり前のことに気づかされる。

読んでいて強く伝わってきたのは、当事者として生きている現実と、作品が「文学」として読まれるときのかたちとのあいだにある、どうしても埋まらないズレだった。ズレがあることよりも、そのズレ自体が感知されず、「なかったことにされている」ことへの苛立ちが、言葉の端々から伝わってくる。

考えてみると、文学はずっと「身体」から少し距離のある場所で語られてきたのかもしれない。作品の強度や完成度の話はされるけれど、その言葉が、どんな身体を通って書かれたのか、という話は後ろに回されがちだ。

また、インタビューでは、純文学という枠やジャンルのラベルが評価を歪める、という話も出ていた。この窮屈さは読者の側にもあると思う。小説に限らず、M-1 における「これが漫才なのか論争」も同じことだ。賞やコンテストといったプラットフォームによって、作品の言葉に触れる前に、読む側の頭の中でも枠が決まってしまう。もっと自由に読めたらいいのに、いつのまにか「正しさ」の話に引き寄せられてしまう。

Suica・PASMO、共通コード決済「teppay」 最大手PayPayに対抗(日本経済新聞)

  • JR東日本とPASMO陣営が、Suica・PASMO共通のコード決済「teppay」を導入すると発表。JR東のシステムを基盤に、モバイルSuicaは2026年秋、モバイルPASMOは27年春以降に対応する。両アプリの会員数は計約4000万人で、約7100万人を抱えるPayPayに対抗する「交通系連合」の形成が狙いだ

  • teppayはQR・バーコード決済に加え、Suica・PASMO間の送金を可能にする点が特徴。現行の電子マネー決済(上限2万円)は維持しつつ、銀行口座チャージで残高上限30万円、ビューカード連携による後払いにも対応する。専用端末が不要なコード決済を軸に、加盟店拡大とデータ活用を進め、鉄道利用と買い物を結びつけた独自サービスも検討されている。

  • 記事全体を通して浮かぶのは、国内キャッシュレスの重心が非接触のIC決済からコード決済へ完全に移ったという現状だ。交通系ICは利便性が高い一方、FeliCa端末やシステム維持のコストが地方事業者の重荷になっており、廃止や代替手段への移行も進む。teppayは、そうした構造的な逆風の中で、交通系ICを決済プラットフォームとして延命・再編しようとする試みとして位置づけられている。


「電子マネーからQRコード決済への移行」は、事業者側のコスト構造と拡張性の都合が押し出した結果であって、ユーザーの利用体験の面でいえばむしろ後退しているように思う。

FeliCa系の電子マネーはタッチするだけで瞬時に処理が完了し、利用者は「支払っている」という意識すらほとんど持たずに利用できるが、QRコード決済は、画面を開き、コードを提示し、読み取り、完了を互いに確認するという負荷が発生する。

つまり、いま起きている移行は、決してUXが優れているから置き換わっているのではなく、専用端末が不要で、加盟店を増やしやすく、データを集約しやすいという事業要件が、インターフェースの質を上書きしている状態だといえるだろう。ちなみに「Paypay」はタガログ語で女性器を意味するらしい。

ドラクエとエフエフの文化的影響を3世代で振り返る(羊谷知嘉ChikaHitujiya)

  • ドラゴンクエストとファイナルファンタジーを、単なる「名作RPG」としてではなく、それぞれの時代の受け手がどう向き合ってきたかという観点から捉え直す。作品論というより、世代論・受容史に近い立ち位置で整理されている。

  • 第1世代(主にファミコン〜スーファミ初期)では、ドラクエは発売日が社会現象になるほどの「国民的行事」として機能し、FFはハード性能や演出の進化を牽引する「技術と物語の最前線」として受け取られていた。両者は対立というより役割分担の関係にあり、RPGそのものが「みんなが同じタイミングで体験するもの」として成立していた時代だった。ゲームは娯楽である以前に、同時代性を共有する装置だった。

  • 第2世代(スーファミ後期〜PS/PS2期)に入ると、シリーズは長期化・巨大化し、体験の前提が揃わなくなっていく。初ドラクエがIIIなのかVなのか、FFがVIなのかVIIなのかで、語りの基準が大きくズレる。RPGはもはや共通言語ではなく、「自分にとっての原体験」を軸に語られるものへと変わり、懐かしさと新作への違和感が常に併存する状態が生まれる。

  • 第3世代では、そもそも「リアルタイムで触れた原体験」が存在しない層が現れる。ドラクエやFFは、遊び倒す対象というより、YouTube・SNS・批評・ミームを通じて知識として先に知る作品になっていく。ここで両シリーズは、生きた娯楽というより、日本ゲーム史を語るための参照点や文化財に近い位置へと移行している。


ゲームそのものの内容ではなく、「それがどのように語られてきたか」という文化的影響を対象にし、それを世代という単位で類型化する視点がおもしろい。世代ごとに形成されてきた集合記憶の構造を説明している。

ここでいう「世代」とは、単なる年齢区分ではなく、どのメディア環境で、どの距離感で作品やその語りに触れてきたかを示す指標として捉えるとよいだろう。ドラクエやFFが、娯楽として消費される対象から、文化として参照される存在へと性格を変えていった過程には、メディア環境の変化が下地にあるからだ。

かつて、作品の体験と語りがほぼ同時に立ち上がっていたのは、雑誌や口コミといった限られた回路の中に体験が閉じられていたためだろう。一方、現代では、解説や批評、まとめや考察といった二次言説が、体験に先行して流通しており、プレイとは別に「その作品がどう位置づけられているか」を知ることのほうが先に来る。物語やシステムそのものよりも、それをめぐって交わされてきた言葉の総体が、文化的な厚みを形づくり、そして名作は正典(カノン)化していく。


膨大な量の二次言説が蓄積・流通し、それ自体が後続世代にとってのコンテンツの入口として機能しているということについて。これはなんというか、希望を感じさせる話だなと思う。

というのも、こうした語りの束は、当時の販売本数や評価点数、ランキングといった数量的・即時的な指標を背景化することにもなると思うからだ。

何万本売れたか、どれだけ高評価だったかという事実は、歴史としては重要でも、「触れてみたい」「関わってみたい」という動機には必ずしも直結しない。Chooningのように、音楽そのものではなく、「その音楽がどんな仕方で愛され、記憶されてきたか」を流通させるプラットフォームの視点から見ると、この構造はかなり示唆的に感じられる。

現代の楽曲もまた、人々が同時に聴いていたものではなくなり、やがて再生数よりも、どんな言葉で語られ、どんな思い出に結びついているかといった情報の方が、後続の受け手にとっての入口になっていくはずだと思う。

Android、ついにAirDrop対応(PC Watch)

  • Googleは11月20日、Androidのファイル共有機能「Quick Share」をAppleの「AirDrop」と相互に連携できるようにする対応を発表し、まずはGoogle Pixel 10シリーズで利用可能にした。これにより、AndroidとiPhone/iPad/Macとの間で、追加アプリ不要でファイルを直接送受信できるようになった。

  • Quick ShareはもともとAndroidデバイス同士でローカル接続を使ってファイルを共有する仕組みで、AirDropはApple製品同士で近距離共有を実現する機能だったが、今回の対応でOS標準レベルで互換性が実現した形になる。

  • 共有時の接続は近距離無線(BluetoothやWi-Fi等)を使い、受信側のデバイスが検出されるとタップ操作で送信が完了する流れ。これまでAndroid→iPhone間では第三者アプリやクラウドを介する必要があったが、その手間が省けるようになる。

  • Googleはこの取り組みを、RCSメッセージングや不明なトラッカー検知アラートといったOS間の互換性強化施策の一環だとしている。

AIを活用したプロトタイピング、期待される効果と注意すべき課題(Nielsen Norman Group)

  • AIを用いたプロトタイピングは、ワイヤーフレームやUI案の生成、文言やレイアウトのバリエーション出しなどを短時間で行える点に強みがあり、探索フェーズのスピードと量を大きく押し上げる。特に「白紙から考える」負担を下げる用途では効果が高い。

  • 一方で、AIが生成するプロトタイプは、ユーザー課題や利用文脈への理解が浅いまま、視覚的に完成度の高いアウトプットを出しやすく、見た目に引きずられて設計判断が甘くなる危険が指摘されている。

  • 動画では、AI生成物をそのまま「解決策」として扱うのではなく、仮説を考えるための素材や比較対象として使うことが重要だと説明される。プロトタイプはあくまで検証の道具であり、完成度の高さは必須ではない。

  • また、AIを使うことで、なぜその構造・導線・要素配置になったのかという設計意図がブラックボックス化しやすく、チーム内での合意形成やレビューが難しくなる点も落とし穴として挙げられている。

  • そのため、AIを使う前提として、ユーザー課題、シナリオ、制約条件などを人間が明確に言語化しておくこと、そしてAIの出力を必ず批評・修正するプロセスを挟むことが、実務での健全な使い方として整理されている。

『利己的な遺伝子』は「人生とは目的もなく空疎なものだ」と説く本ではない! 「あまりに深い誤解」の真相をドーキンス本人が語る

https://www.hayakawabooks.com/n/n856240d87503


  • 早川書房の note に、リチャード・ドーキンスの著書 『虹の解体――世界はなぜ美しいのか』の序文の抜粋が掲載されていた。

  • 掲載されている文章は、『利己的な遺伝子』をめぐって長年向けられてきた「冷たい」「虚無的だ」といった声に対し、ドーキンス自身がその誤解を丁寧にほどき直し、科学が本来もつ「センス・オブ・ワンダー」について語る導入部にあたる。


『利己的な遺伝子』をめぐる主な誤解

  • 『利己的な遺伝子』は救いがなく、冷たく、人生を空虚にしてしまう本だ。

    • 「科学が人生を意味のないものにする」という非難は根本的に的外れ。

    • 科学がもたらすのは、むしろ センス・オブ・ワンダー(驚異・畏敬)。科学的理解は「人生を意義あるものにする」とハッキリ述べている。

  • 科学的説明は人間の希望や意味づけを無視してしまう。

    • 人間の人生の意味や希望は「宇宙の究極的運命」ではなく、もっと身近な生活や感覚に根ざしている。科学はその希望を否定しない。

    • ニュートンが虹の詩情を壊したという批判(ジョン・キーツによるニュートン批判)も誤解で、科学は美しさを破壊せず、むしろ深める(美的経験を豊かにする)ものである。


改めて『利己的な遺伝子』を読み直してみると、「ここも誤解されやすそうだな」と思う箇所がもう少し見えてきたので、そのあたりをメモっておく。先日、浅井と『利己的な遺伝子』を酒のつまみに人生論的な話し合いをしたのだが、その前にこの辺りを整理しておくべきだった。(『虹の解体』も含めて整理した上で、また話そう。)

  • 遺伝子が利己的なら、人間も利己的であるべきだ

    • 「利己的」という言葉が倫理的価値判断を帯びて聞こえるため、誤読を誘発するように思える。(“selfish gene” を “selfish human” として読んでしまう。)

    • 「利己的」は、遺伝子レベルの生存戦略を説明するための比喩であり、個々の人間の倫理や行動を「利己的に生きよ」と指示するものではない。(「利己的」はあくまで説明装置であって、規範提示・倫理的メッセージではない。)

    • むしろドーキンスは「私たちは遺伝子の利己性を理解し、それに抗うことができる」とまで書いている。

  • 人間の行動はすべて遺伝子に決定されていて、文化や自由の余地はない

    • 「遺伝子中心の視点」が「文化・倫理・自由が否定される」と誤解される。遺伝子に支配される=決定論、と短絡的に読解されているのではないか。

    • ドーキンスは繰り返し、「人間は文化・学習・倫理によって遺伝子のプログラムを乗り越える唯一の存在」と述べている。

    • 遺伝子の自己複製戦略と、人間の文化的・道徳的行動はレイヤーが異なるので、「遺伝子の利己性」と「人間の利他性・共感」は矛盾しない。むしろ両立する。

ドキュメントを手作業で保守する時代は終わり──Googleが「Code Wiki」を公開プレビュー(窓の杜 / Forest Watch)

  • Googleが「Code Wiki」の公開プレビューを発表。AIを活用して、パブリックなソースコードリポジトリからドキュメントを自動生成・自動更新するサービスとしてリリースされた。

  • Code Wikiは、コード自体を解析し、そこからコメントや説明、使用例などのドキュメントを生成してオンラインでホストする仕組み。ソースコードが変更されると、ドキュメントも継続的に更新される仕組みになっていると伝えられている。

  • このサービスは、手作業でドキュメントを書いたり更新したりする負担を減らすことを目的としており、コードベースの変化に即応するドキュメント保守の自動化を狙っている。

  • 合わせて、Code Wikiと連携する形で「Gemini CLI」の拡張機能も開発中で、これを使えばローカルリポジトリでも同様の自動ドキュメント生成・管理が可能になる予定という。

  • なお現在はまだ公開プレビュー段階であり、正式リリース前の試用的な提供だが、公開リポジトリを基点にした継続的ドキュメント生成プラットフォームとして期待が示されている。


とりあえずウェイティングリストに登録したが、ほんまかいな感がすごい。

MVPで進めるプロジェクトマネジメント—スコープの再定義と合意形成プロセス(MonotaRO Tech Blog)

  • MVPを単に「実装量を減らした初期版」ではなく、「仮説を検証するために必要十分な単位」と定義し直し、その前提でプロジェクトをどう進めるか、とマネジメントの視点から整理している。(MVPを開発手法ではなく、プロジェクトマネジメント視点で見ているのがおもしろい!)

  • まず、実際の開発現場において、要件は必ず途中で増えたり揺れたりするものだという前提に立つ。最初に決めたスコープを守るのではなく、検証結果や状況の変化に応じてスコープを更新できるようなプロセスがあることが重要。

  • ポイントは、技術的制約、ビジネス上の期待、運用負荷といった異なる制約条件を一度すべて言語化し、「今回は何をやらないのか」と「どこまでできれば検証として十分か」を関係者全員が同じ言葉で共有すること。スコープを変更する必要がある場合も同様に、その理由と判断基準をきちんと説明する。

  • 検証したい仮説を明確にした上で、そのための機能の洗い出しと優先度の整理を行い、MVPを構想する。MVPの作成を、あるフェーズにおける一度きりのものではなく、意思決定と合意形成を繰り返しながら前に進むための運用フレームとして捉える。


生成AIの発達によって検証用のモノを作るコストが圧倒的に下がりつつある中で、こういうアイデアはとても参考になる。

この一年は、誰かが生成AIで作った画面を差し出して「こんな感じでどうですか!」と合意を取ってプロジェクトが進行してしまう、という話を聞くことが多かった。そこで合意が得られているのは、単なる見た目や雰囲気であり、検証内容ではないのだろう。つまり、戦略的なレイヤーで合意を得るというプロセスが抜け落ちてしまっているのだと思う。

モノタロウの記事が示しているのは、MVPを「形」ではなく「問い」として扱おうとする姿勢だ。いま目の前にあるそれは、いったい何を検証するためのものなのか。その点を曖昧にしたままでは、それっぽいものができあがりはするものの、ユーザーの「必要」に接近することは難しい。

『ドラクエ7』フルリメイクでは大人になった「キーファ」が登場! 仲間になって一緒に戦えるように(電ファミニコゲーマー)

アツい。アツすぎる。

僕はまさに『ドラクエ7』を小学生の頃にリアルタイムで遊んでいた世代なのだが、パーティーから離脱したキーファがそのまま物語に戻ってこないという展開を、当時ひどく悲しく感じた記憶がある。彼の不在はアイラという子孫の存在によって物語上は回収されるのだが、それでも納得しきれない感情が残っていた。キーファは裏切ったわけでも、死んだわけでもない。ただ別の時間を生きてしまった。そのことが、子どもながらにどうしようもなく残酷に感じられたのだと思う。

今回のリメイクは、単純なファンサービスを超えて、当時のプレイヤーに残されていた感情の未消化部分にあらためて手を伸ばそうとしているようにも見える。あるいは、あのとき少年だった僕がいまは大人になっている(=キーファ化している)という事実も含めて、大人キーファは僕たちが主人公やマリベルと出会い直すために用意された回路なのかもしれない。

オタマジャクシの時期がない「新種のカエル」を発見

  • タイの森林地帯で発見された新種のヒキガエルは、卵を外部に産み落とすのではなく、メスの体内で発生を進め、オタマジャクシ段階を経ない子を直接出産するという、極めて珍しい繁殖様式を持っていた。

  • カエルやヒキガエルは「水辺に卵を産み、オタマジャクシとして成長する」というライフサイクルがほぼ自明視されてきたため、この発見は両生類の生殖に関する基本的な前提を揺さぶるものになっている。

  • 研究者たちは、この胎生に近い繁殖戦略が、乾季の長さや水場の不安定さ、卵やオタマジャクシが捕食されやすい環境条件への適応として進化した可能性を指摘している。

  • 体内で子を育てることは、親にとってはエネルギー負荷が大きい一方、子の生存率を高められるというトレードオフを伴う選択であり、生殖様式とは「環境との交渉の結果」であることが見えてくる。


こういうニュースを見ると、科学的な知識というのは常に暫定的な地図にすぎないんだなと思う。

アプリの「HOMEタブ」は本当に必要?(いとーひろと/デザイナー)

  • 多くのモバイルアプリに慣習的に配置されているHOMEタブについて、その役割や必然性を、UI設計とユーザー行動の観点から問い直す記事。

  • HOMEタブは本来、「全体の状況を俯瞰する」「次に何をすべきかを示す起点」として設計されるべきだが、実際には最新情報の羅列や、各機能への単なるリンク集など、機能が曖昧になっているケースが少なくない。

  • ToDoアプリや家計簿、業務支援ツールなど、ユーザーの目的が「やるべき作業を処理する」「数値を入力・確認する」と明確なタスク指向型アプリでは、起動後すぐに主要タスク画面へ遷移したほうが迷いが少ない。HOMEを挟むことでかえって一手間増えてしまう。

  • 一方、ニュースアプリやSNS、ストリーミングサービスのように、「何を見るか」をその場で選ぶ情報探索型・回遊型のサービスでは、コンテンツの全体像やおすすめを提示するHOMEが重要な役割を果たす。

  • HOMEタブの有無や構成については、UIの定型や他サービスの模倣で決めるのではなく、「ユーザーは起動直後に何を期待しているか」「どの地点で迷う可能性があるか」という視点で設計することが大切。

ヒコロヒー「直感的社会論」:あなたになら話したい。 (BRUTUS)

なんて純文学的なんだ。ボールペンを買ったという日常の瞬間から、信頼や愛などの人間存在の核心へとなめらかに広がっていく心の情景描写にグッときた。

ヒコロヒーの文章をちゃんと読んだのはこれが初めてだったけれど、自己と他者、言葉と感情の関係性は僕が最も関心のあるテーマの一つだし、年齢が同じ36歳ということも知り、突如気になりはじめてエッセイと小説を1冊ずつ買ってしまった。

『黙って喋って』 『きれはし』

AIでUIをデザインするウェブアプリ「Stitch」、公開共有機能を追加(gihyo.jp)

  • AIでUIデザイン案を生成できるGoogleのWebアプリ「Stitch」に、作成したデザインをURLで公開・共有できる機能が新たに追加された。

  • 公開共有を有効にすると、アカウントを持たない第三者でもブラウザ上で生成したデザインを閲覧できるようになる。

  • 共有ページでは、完成したUIの見た目だけでなく、生成時に入力したプロンプトや条件も確認でき、どのような指示からそのデザインが生まれたのかを追える構成になっている。これにより個人の試行錯誤に留まっていたAI生成UIを、レビューやアイデア共有、学習目的などで外部と共有しやすくなった。


Stitchのこの機能は既にFigma Makeにもあるものだけれど、生成AIのこうした機能によって、制作のプロセスを可視化し、他者に見せる前提で扱えるようになった点が面白いと思う。

九段理江がAIを使って小説を書き、そのプロンプトごと公開するという企画があったけれど、まさにこうした新しい制作環境を活かしたうまい企画だと思う。

なぜPayPayは家計簿アプリと連携されないのか──日本の決済データを巡る構造的な課題(ITmedia NEWS)

  • PayPayは国内最大級の決済サービスでありながら、主要な家計簿アプリと公式なデータ連携を行っていない。その背景は、個別企業の判断というより、日本における決済データの制度的位置づけが曖昧なままキャッシュレス化が進んできたことにある。

  • 銀行口座データについては、改正銀行法を背景にオープンAPIが整備され、利用者の同意を前提として第三者サービスが取引履歴を取得できる枠組みが作られてきた。一方、QRコード決済や電子マネーなどの決済事業者には、同様のデータ開放を義務付ける制度が存在せず、データ共有は各社の裁量に委ねられている。

  • PayPayにとって決済データは、単なる支払い履歴ではなく、加盟店向けの分析、広告・マーケティング、金融サービスや与信モデルの高度化に直結する中核的な経営資源である。そのため、家計簿アプリとの包括的なデータ連携は、自社の競争優位性を弱める可能性がある。

  • 一方で家計簿アプリ事業者の側から見ると、決済事業者ごとにAPI仕様や取得条件が異なり、銀行データのように横断的に扱える共通基盤がない。そのため、個別対応の開発・運用コストが高く、技術的には可能でもビジネスとして成立しにくい状況に置かれている。

  • 欧州ではPSD2などの制度を通じて金融データの開放が進み、利用者主導で決済・口座データを第三者サービスに連携できる環境が整えられてきたことが紹介されている。米国でも、銀行やクレジットカードのデータを集約するデータアグリゲーターが発達し、家計管理や金融サービスに横断的に活用されている。

  • それに対して日本では、キャッシュレス政策が「支払い手段の普及」や「現金代替」を主眼に進められてきた一方で、決済後に生まれるデータの帰属や流通、利用者によるデータ活用までを含めた制度設計が十分に行われてこなかったことが問題として示されている。

  • 結果として、利用者は複数の決済手段を日常的に使い分けているにもかかわらず、支出データは事業者ごとに分断され、家計管理や消費行動の把握に活かしにくい状態が固定化されている。

  • 論点は「PayPayが連携するかどうか」ではなく、決済データを私企業の競争資源として囲い込むのか、それとも利用者が主体的に扱えるデータとして社会的に位置づけるのか、という制度設計と合意形成の不在にあることが浮かび上がっている。