市川沙央のインタビューを読んだ。
『ハンチバック』は、近年の芥川賞作品の中でもかなり好きな一冊なので、こうして本人のまとまった言葉を読めるのは嬉しい。芥川賞からずいぶん長い時間が経っているが、作品とは別のところで、彼女の中ではまだ終わっていない時間が続いているのだ、という当たり前のことに気づかされる。
読んでいて強く伝わってきたのは、当事者として生きている現実と、作品が「文学」として読まれるときのかたちとのあいだにある、どうしても埋まらないズレだった。ズレがあることよりも、そのズレ自体が感知されず、「なかったことにされている」ことへの苛立ちが、言葉の端々から伝わってくる。
考えてみると、文学はずっと「身体」から少し距離のある場所で語られてきたのかもしれない。作品の強度や完成度の話はされるけれど、その言葉が、どんな身体を通って書かれたのか、という話は後ろに回されがちだ。
また、インタビューでは、純文学という枠やジャンルのラベルが評価を歪める、という話も出ていた。この窮屈さは読者の側にもあると思う。小説に限らず、M-1 における「これが漫才なのか論争」も同じことだ。賞やコンテストといったプラットフォームによって、作品の言葉に触れる前に、読む側の頭の中でも枠が決まってしまう。もっと自由に読めたらいいのに、いつのまにか「正しさ」の話に引き寄せられてしまう。