「ゆうしゃはなぜ「ゆうしゃ」なのか?:セーブ&ロードの物語論」(遊星歯車機関)
ゲームにおけるセーブ&ロードを、単なる利便機能や中断・再開の仕組みとしてではなく、物語構造そのものを成立させている装置として捉え直そうとする試み。プレイヤーの操作の背後で、時間や選択がどのように扱われているのかが主題となっている。
セーブ&ロードによってプレイヤーは、失敗や別の分岐を経験したという「記憶」を保持したままやり直すことができる。これは物語世界の登場人物には決して許されない特権であり、結果として世界には常に複数の可能性が生じる。この非対称性こそが、プレイヤー=勇者を他のキャラクターから切り離す前提条件になっている。
この構造のもとでは、RPGにおける「選択」は不可逆な決断ではなく、何度も巻き戻され、比較され、試された末にようやく確定されるものとして位置づけ直される。ロードによって選ばれなかった世界や未来は、物語上はなかったことにされるが、それらはプレイヤーの側には記憶として残り続ける。
具体例として、「ドラゴンクエストXI」が取り上げられる。作中では、時間を巻き戻す行為そのものが物語の核心に組み込まれており、セーブ&ロード的な操作原理が、ゲーム外の都合ではなく、物語内部の出来事として表現されている点が読み解かれる。
ここから導かれるのが、「勇者とは強い存在でも、最初から正解を知っている存在でもなく、セーブ&ロードという時間操作を引き受け、結果として世界を確定させてしまう存在なのではないか」というメタ的な再定義である。勇者とは、世界の外側にある操作原理を、物語の内側で体現してしまう立場に置かれている。
勇者は、同じ状況を何度も経験し、誤りや犠牲、別の選択肢を知ったうえで、それでも最終的に一つの行動を選び取る。そのとき確定される「正史」は、無数の試行錯誤と、切り捨てられた未来の上に成立している。勇者が世界を救うという行為は、同時に他の可能性を不可逆的に閉じてしまう行為でもあるという点であり、その取り返しのつかなさこそが、RPGにおける勇者性を支えている。