これが中堅ってやつかあ

りんご音楽祭プレゼンツの『ゴーゴーアワード』というオーディションライブがあり、その特別審査員をやりませんか、という連絡があった。やりますやります、と二つ返事で請け負う。出演するのは、去年のりんご音楽祭にルーキー枠で出ていたアーティストのうち6~7組で、審査員は当日会場でグランプリを選ぶための投票だけでなく、審査員特別賞を選ぶことができる。僕は台湾にいるため、残念ながら当日は会場に足を運ぶことができないのだが、「Chooning賞」というものを用意し、当日のアレコレは信頼している友人に任せることにした。

一次審査として実行委員会から去年の映像をもらい、その中から3組を選ぶ。この審査員の事前投票を鑑みて、当日の6~7組が決まるとのことだ。代理を頼んだ友人と通話しながら、一緒に3組を選んだ。僕も友人も去年のりんご音楽祭は観に行っていたので、映像は懐かしく、いくつかの動画には前列に陣取る僕の背中が映り込んでいた。

この下読み的な選定段階はまだ受賞者を選ぶものではないが、友人とのディスカッションは「Chooning賞」の選出基準を言語化する作業でもあり、なかなか楽しかった。選びながらふと、自分がこれまで何かを受賞したときのことを思い出していた。


SFF2010でグランプリを獲ったとき、審査員を務めていた『GENERATION TIMES』の伊藤剛さんが「審査委員会が大揉めに揉めた。一度グランプリが決まったあとに『大会の主旨として、これでいいのだろうか』という声が出て、それから結論がひっくり返り、君たちがグランプリに選ばれた」と壇上で説明してくれた。実際、別室で行われていた審査は、予定時間を大幅に超えていた。実行委員会が用意した物差しではなく、審査委員会が大会の主旨を再解釈して僕たちのフリーペーパーが選ばれる、という事態が起きたのだ。

いまにして思えば、実行委員会は愉快ではなかったかもしれないと案ずるものがあるが、当時の僕はしてやったりと思っていた。そして、これは後から分かったことだが、僕たちを推したのはその伊藤剛さんと、産経EXの内藤泰朗さんという方だった。僕は二人の名前を16年経った今でも覚えている。この大会をキッカケに僕は照屋義丸に発見され、斎藤大地さんの主催する討論番組に呼ばれ、そこで出会った稲着達也さん、増澤諒さん、安部敏樹さん、原田謙介さんといった面々との縁によって、今の人生があるといえる。こんな話を突然聞かされても読んでいる方はなんのこっちゃだと思うが、言いたいのはつまり、審査員の判断ひとつが誰かの人生を決定的に変えてしまうことがある、ということだ。

他にも、my Japan Awardで僕の映像を最優秀賞に選んでくれた須田和博さん、その年間グランプリ審査の場で審査員特別賞をくれた伊藤直樹さん、佐渡ビジネスコンテストで最優秀賞をくれた審査委員会の方々。一人ひとりの判断が、そのときの僕を前進させてくれた。僕は、こうした大会の結果にしがみついて少しずつ生きる領土を拡大してきたような感覚がある。審査側にとっては数ある出来事のひとつかもしれないが、受賞者にとっては人生を左右する大きなチャンスなのだ。

そして気づけば、僕がそのチャンスを与える側になっていた。それはそうか、僕も36歳だもんなあと思いつつ、しかし一方で、これまで何か大きなことを成し遂げた実感もないので、どこかふわふわした気持ちでいる。「どちらかというと、僕だってまだチャンスを与えてもらいたい側なんだけどな」と友人にこぼすと、「まあ、それが中堅ってやつだね」と返ってきた。そうか、これが中堅ってやつか。


たしかに、以前は仕事の中でも「その歳でそれができるの?」と驚かれることが多かったが、ここ数年はそういう反応を貰った記憶がない。友人や後輩から受ける相談も、彼ら自身がある程度の規模のチームや組織を動かす前提で、メンバーのモチベーションとか、部下との付き合い方とか、全体的に人間付き合いみたいな話が多くなってきた。

僕はもっと「このお題に対して何を作ったらいいか」とか「このクソみたいな状況でどうやって作りたいものを成立させるか」とか「こんなものを作ったんだー」「え、なにこれおもしろ!」みたいな話をしていたいのだが、なんだかみんな、具体的な制作物よりも、それをどう動かす人々に感心が移っているように感じる。こうして僕の好きな話題が少なくなっていくことにもやもやしていたのだが、これも中堅ってやつなのかもしれない。


先週「yoyn」という音楽の感想を投稿するサービスがリリースされた。なぜか同日に「onga9」という似たようなサービスも出た。どちらもよくできていて、モロにChooningの競合なので焦る。

特に「yoyn」については、「日本のRate Your Musicを目指す」というビジョンを掲げていたので、それならばChooningとは棲み分けができるだろうと高を括っていたのだが、今日になって「レビューせずとも投稿できるようにしました」というアップデートが発表されており、胸がキュッとなった。

もともと、ビジョンに「yoynは、音楽をただ消費するだけでなく、聴き終えた後の『余韻』を言葉にして共有するための場所です」と書かれていたので、根本にある思いはChooningと近いんだろうなと思っていた。そしてそれは批評とかレビューとは相性が悪いんじゃないかなあと思っていたのだけど、恐ろしいスピードでアプローチを修正してきている。実際の使われ方も、僕がChooningに投稿してほしいと思うような、音楽と過ごした時間を記録する感じのものばかりだ。圧倒的に焦りが募る。くう、全然批評サイトではないじゃないか!

やきもきしてしまうのは、まさにこの数ヶ月Chooningのリニューアルを進めていて、そこで実装していた機能のいくつかがyoynにあるものだったからだ。クッソやられた!!!と頭を抱えてしまった。サポーター機能なんて、まさに今日僕が実装していたところで、「ちょっとちょっと勘弁してくださいよお……」とMacBookに頭をすりすりしながら呟いてしまった。マジでちょっと待ってくれ、もう少しでリニューアル版出せるんだよ。

yoynは河村蓮という人が個人開発で作っているようだが、発信を眺める限り恐らく僕よりだいぶ若いクリエイターだろう。この、後ろから猛烈に追い上げられるような感覚は今までになかった。これはマジで中堅ってやつだ。こういうものが出てくるのは、僕の作ったものがyoynやonga9の作り手を満足させられなかったということだろう。いまあるもので満足できないから作るのだ。そしてそれはよくわかる。よくわかるから僕もまた新しいものを作っているのだ。

それと、これまで競合サービスが出ても、触り心地がそこまでよくなくてあんまり気にならなかったのだが、yoynにしろonga9にしろ制作物として普通によくできていてビビる。開発速度も尋常ではないし、これがAI時代ってやつか。単にAIにぶん投げて作らせたわけではなく、作り手が手間をかけて愛着を持って作っているのがよく分かる。きっといいクリエイターなんだろう。


今日は終日制作をしていたのだが、集中が途切れるたびに散歩をし、台北の街を北から南へ、あるいは路地から路地へと、落ち着きなく移動を繰り返す一日だった。迪化街の幻猻家珈琲、民権西路の裏路地の瑶池堕宮、最後は中山の春秋書店と、カフェからカフェへと漂流しながらの制作だ。

途中、中山の「Mitty」という古着屋に立ち寄った際、一着のベストが目にとまった。ラコステのニットベストだ。くたっとした絶妙な色落ちと、控えめなワニの刺繍。ゴルフウェア特有の野暮ったさが一周回って格好いい。これは絶対に似合うだろうなあ〜と確信を持って袖を通してみたのだが、鏡に映った自分を見て愕然とした。

僕はずっと、こういうベストやスイングトップのような「おじさんアイテム」をファッションに取り入れるのがオシャレだと思ってやってきた。しかし、いま鏡に映っているのは、それを着こなしてしまっている、いや、それがあまりにも自然に馴染みすぎている一人の男の姿だった。「おじさんっぽさ」を取り入れて外したつもりが、ストレートに生のおじさんだったのだ。野暮なおじさんアイテムがオシャレに見えるのは、見た目が若いからこそであり、おじさんが着たらそれはただのおじさんの服装でしかなかった。うーむ、なんてこった。いつの間にこんなことになっていたのだ。いやそうか、これが中年ってやつか。