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元気です。

城南(ソンナム)の南、龍仁(ヨンイル)の竹田洞(チュクチョンドン)という町で、三週間のホームステイをしている。

一緒に暮らすのはキムさんという六十代の女性だ。キムさんは英語が話せて、また少し日本語も話せるのだが、到着初日、旅の昂ぶりにあてられた僕がうっかり「韓国語を勉強したいです!」などと口走ったため、キムさんは張り切って韓国語しか話さなくなってしまった。

家の中の調度品を指差して、次々とその名前を発音して教えてくれる。

ネンジャンゴ。チャンムン。ウィジャ。セタッキ。

呪文のような音がビュンビュン飛んでくる。テキトーにやり過ごそうかとも思ったが、キムさんの善意を無下にすることもできず、二日目の夜には腹を括ってノートを買い、ハングルを書きはじめた。

日を追うごとにノートは順調に埋まっていくのだが、哀しいかな、内容は一向に頭に収まってくれない。こういう時、僕は決まって小学校の教室を思い出す。先生が黒板に何かを書く。僕はそれをノートに写す。ページが文字で埋まっていくが、それが何なのかよく分からないまま物事が進んでいく。

これを頭の中に直接書けたらいいのになあ。

そんなことを思いながらノートを眺めていた子どもが、そのまま大人になってしまった。

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半月ほど前、フロントエンドをゼロから作り直した「Chooning」の新バージョンをリリースした。

かなりの自信作で、作っている最中は「これを世に出したらとんでもないことになるぞ!」と思っていたのだが、今のところ世間はまだ平穏を保ち続けている。

開発の最中は脳内麻薬が出っぱなしの状態で、寝食を忘れて没頭していた。20〜30時間ほどぶっ続けでコードを書き、限界が来たら3〜5時間眠る。そんな生活を2ヶ月ほど続けていただろうか。没頭の渦中にいると、時間感覚が消失していく。終盤には「40分くらい経ったかな」と思って顔を上げたら8時間経っていて、その日の打ち合わせをすべて飛ばした日があった。こうなると完全に社会不適合者である。

子どもの頃、眠れない夜があると、決まって父の部屋へと向かった。父は咎めることもなく、「眠くなるまで寝なくていい」「そのうち必ず眠くなる」と言って、本棚から適当な一冊を抜き出して手渡してくれた。困ったことに、父には図書推薦の才があったらしく、渡される本はどれもこれも面白かった。僕はそれを読み耽り、さらに眠れなくなっていく。この習慣が改善の機会を得ることなく、今日に至っている。

「生活リズム」という言葉があるが、僕にはこのリズムというものが決定的に欠けている。必要があれば起きているし、そうでなければずっと寝ている。受注生産方式である。

ふつう、生活とは、あらかじめ規定された一日の枠組みの中に活動をうまくはめ込んでいくようにして出来上がっていくはずだ。しかしこちらは、活動の熱量や必要性に合わせて、生活を強引に変形させ、辻褄を合わせていく。

二十代のうちは困ったものだが、あるとき僕はこれに「ダイナミック・バイオリズム」という技名を与えることで、開き直るようになった。僕の根底には週刊少年ジャンプの血が流れている。

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5月末に、仁川(インチョン)で開催された「Asian Pop Festival」へと足を運んだ。カジノを併設した複合施設「パラダイスシティ」で行われる音楽フェスである。

チケット代の安さにいささか侮っていたところもあったのだが、いざ訪れてみると、どのステージも音響や設備が完璧で、冷房の効いた休憩スペースや充電スポットが至る所に点在しているという、至れり尽くせりの素晴らしい環境だった。

チケット代、航空券、そして宿泊費をすべて合算しても、フジロックのチケット代より安い。あまりに出来すぎた体験だった。(それにしても、今年のフジロックのチケット高騰はどうなってるんだ。転売サイトで三日通し券に10万円の値がついていたぞ。)


初日の夜、会場内のバーでSax MachineのDJをバックに踊っていると、フロアの隅に台湾のラッパー・山姆(someshit)の姿が見えた。プライベートに声をかけるのは野暮だと思いつつも、フェスの雰囲気に背中を押され、ついつい話しかけてしまった。

「你好! 山姆だよね? この前、台北の『The Wall』で鈴木真海子と君のラップを聴いたよ!」

「その後、中壢のレコードショップにも行ったんだ。あそこ、君の地元だよね? マジでいい町だったよ!」

拙い中国語だったとは思うが、熱意は通じたようで、嬉しそうな顔をしてグータッチを交わしてくれた。そして鞄をごそごそと探り「ええと、何か……あっ! よし、これをあげるよ!」と、愛猫のプリント写真を取り出したのだった。

「9月に東京でライブをやるから、ぜひ観に来てくれよ!」

去り際の彼の言葉に、僕は何も考えずに「OK!」と応じた。こうしてまたひとつ、行き当たりばったりの約束が増えていく。

でも、こういうのはあればあるだけいい。定住の地を持たず、生活リズムすらない僕にとって、こうした約束こそが崩壊しがちな日常を繋ぎ止める唯一の役割を果たしているように思えるからだ。

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今、僕が寝起きしている部屋は、もともとキムさんの息子が使っていた部屋なのだという。

キムさんの息子はドイツでテノール歌手として活動しており、かれこれ7年ほど帰郷していないらしい。この部屋には「Essen(エッセン)」という名がつけられているのだが、それは彼が住むドイツの町の名前だそうだ。

そんな話を交わしている最中、キムさんが「昨日は息子の誕生日だったのよ」と愛おしそうに呟いた。僕はつい「え? 僕は今日が誕生日です」と言葉を返した。

キムさんは「あら!」と目を見張り、それから優しく微笑んだ。

「それなら明日の朝、西の方へ少し歩いてごらんなさい。綺麗な川があるから、そこを散歩するといいわ。『タンチョン』というの。新しい一年を迎えるのに、きっといい気がもらえるはずよ」


タンチョンは、漢字で「炭川」と書く。かつて朝鮮時代、この一帯にはソウル(漢陽)へ供給するための炭を焼く窯が多くあったのだという。炭を焼く煙が空を覆い、炭の粉が流れ込んだ川の水が黒く見えたことから、その名がついた。

近代化の荒波のなかで、一時は大量の生活排水や工事の土砂が流れ込み、魚影ひとつ見られないほどに水質が著しく悪化した暗黒の時代もあったそうだ。しかしその後、市民が一丸となって大規模な浄化活動を何年にもわたって継続した。結果、川は見事なまでの奇跡的な復活を遂げ、今ではアユが泳ぎ、サギやカモが羽を休める豊かな自然を取り戻している。

一度深く濁ってしまった川であっても、人の意志と努力によって美しさを取り戻すことができる。なるほど、いよいよ中年に差し掛かる僕がお手本にすべきは、まさにこの奇跡だ。

明日の朝は、その川のほとりを歩き、佳きエネルギーにあやかることにしよう。

37歳になりました。僕は元気です。

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